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学校長挨拶
本校は昭和62年に普通科・情報処理科を併設する高校として開校し、平成元年には外国語コースを新設しました。さらには、平成7年には県内の公立高校としては初の総合学科として、新しい第一歩を歩み始めました。
校訓は「誠実」、教育目標は「一人一人の個性の伸長と豊かな人間性の涵養を図り、幅広い教養と専門的知識・技術を身につけた、心身ともに健全な人材を育成する」ことを掲げ、「チャレンジ精神を持った高い目標を目指す明るく生き生きした生徒を育てる」ことを教育方針としております。
本校では、総合学科の強みを生かし、興味・関心のある分野の学びを広げ、深めることができます。また、部活動も盛んで、明るく開放的な雰囲気の中、それぞれの目標に向けた取り組みを一人一人が充実させております。体育祭や文化祭などの諸行事に対する生徒たちのエネルギーも相当なものです。
こういった恵まれた環境の中、夢の実現に向けて頑張りたい人、未知の分野に果敢にチャレンジしてみたい人、多くの仲間と学びを深めたい人など、前向きに取り組みたいという意志を持った人はぜひ、本校を目指して下さい。
本校は、前向きに明るく前進しようとする皆さんを最後まで応援します。
令和8年4月1日
埼玉県立久喜北陽高等学校長 寺嶋 毅
皆さん、おはようございす。
夏休みが終わり、2学期が始まります。夏休み中、部活動や進路指導で学校に来ていた人も多くいました。充実した40日間だったでしょうか。
残念なことに、今年の夏も大きな災害が非常に多く発生しました。夏休みに入ってすぐの7月28日には「熊本地震」が、お盆中の8月13日には千葉県で「集中豪雨」が、そして先週8月27日には石川県・富山県で「集中豪雨」が発生しました。いずれも大きな被害をもたらしました。まずは、お亡くなりになられた方々に対して、この場を借りて哀悼の意を捧げます。また、今回被災された皆さま方には、心からのお見舞いを申し上げます。
日本はもはや世界に先駆けて、災害大国となってしまいました。これからの時代を生きる皆さんは、ぜひ、「防災意識」と生き抜くための「知識・知恵・感性」を、自分の中にしっかりと持ってほしいと思います。
今日は、先の見えない時代を生き抜く「生きる姿勢」について、2人の文学者の作品に触れながら、少しお話ししてみたいと思います。
つい先日ですが、アメリカ・マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が、人工知能(AI)が大量の失業者を生み出し、「最悪の不平等の根源」となり得るという論文を発表し、新聞等でも報道されました。ビル・ゲイツ氏は、AIに奪われない「人間専用の職業」を設ける必要があると強調し、「仕事を奪われてからでは遅い。今すぐに考え、行動することが必要」と世界中に訴えました。皆さんも、「何年後には、なくなる職業予測」というのを聞いたことがあるでしょう。現実は世界が予測する以上の速度でAIが進化し、人間との競合が進んでいるのです。
皆さんは、夏目漱石の『三四郎』という小説を読んだことがありますか。漱石が書いた前期三部作の最初の作品です。前期三部作は「愛」をテーマに漱石が書いたものです。熊本から上京してきた主人公の三四郎が、電車の中で謎の「男」と会話をする場面が冒頭にあります。「男」は三四郎に言います。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より…頭の中のほうが広いでしょう。とらわれちゃだめだ。」
「とらわれちゃだめだ。」…非常に印象的な場面です。私たちは、限られた視野からの見方を唯一のものと思いがちです。冒頭にお話をした災害についても、自分は大丈夫だろうという思い込みがあります。ビル・ゲイツの警告にしても、「そうは言っても」と、どこか他人事の感が拭えないわけです。しかし大切なことは、現代が、あらゆる場面でこれまでの常識が通用しない、あるいは常識を超えた事態が日常的に起こり得る時代なのだ、ということを各自が広い視野からしっかりと認識する「しなやかさ」なのです。『三四郎』の中で述べられているように、従来の、狭い視野に「とらわれてはいけない」のです。
そのためにも、生徒の皆さんには、あらゆることを貪欲に学び、興味の幅を広げ、自身の「学びの幹」を太くしてほしいと願っています。それがひいては皆さん自身の視野を広げ、未来を読み解くしなやかな「感性」を高めていくことに繋がります。
皆さんは、茨木のり子さんという名前を聞いたことがあるでしょうか。平成18年に79歳でお亡くなりになった、日本を代表する女性の詩人です。茨木のり子さんは、自身の詩「自分の感受性くらい」という作品で、次のように述べています。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
だめなことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
私たちは、「生きる時代」を自分で選ぶことはできません。あの時代がよかった、何十年前に生まれたかった、と嘆いても、どうすることもできないのです。この詩は、作者の茨木のり子さんが51歳の時に発表されました。茨木さんは幼くして母を失い、青春時代を戦争の真っ只中で過ごしました。先の見えない、暗い青春時代です。その後、結婚をされ、詩人としての活動を始めましたが、49歳の時に夫を亡くしています。その2年後に発表されたのが、この詩でした。茨木さんは、「今」をしっかりと見つめ、自分の未来を、自分の責任で切り拓いていくことの大切さを伝えているのです。ここには、自分のことは自分で引き受けるという一人の人間の強い「意志」と「覚悟」が示されています。
始めに言いました。これからの時代は、これまでには想定し得ない事態が、想定し得ない速度で起こり得る時代です。大切なのは、時代のせいや、他人のせいにするのではなく、自分のことは自分で引き受けるという「姿勢」、そして「覚悟」なのです。
人間というものは、皆、誰もが弱い部分を持っています。だからこそ、この一人の女性詩人の強さは、広く現代に生きる私たちの心の道標となり、多くの人の共感を呼ぶのだと思います。
始めに紹介した漱石の『三四郎』は、青春小説として明治以来ずっと読み継がれている作品です。また、茨木のり子さんについては、詩集以外にも、その生き方に焦点を当てた伝記が複数、出版されています。ぜひ、図書館や書店などで探してみて、読んでもらえたらと思います。
きっと、皆さんの心の琴線に触れる何かと出会えるに違いありません。
生徒の皆さん、おはようございます。
先日、成績会議で皆さんの1学期の成績の様子を拝見しました。非常によく頑張っている人が多いな、という印象を受けました。もちろん、もうちょっと頑張れるはず、という人もいます。成績は、テストだけで付けるものではありません。出席点、提出物、授業態度などを総合的に判断して、今日、このあと渡される通知表に成績が記載されているわけです。したがって、反省すべき点のある人は、その点を明確にして、自分が次にステップアップしていくには何が必要かなと自覚をし、実行していくことが大切です。もちろん、頑張った人は自分で自分をほめてください。これも大切なことです。通知表は受け取ったら終わり、ではありません。通知表は、自分をステップアップさせるための、貴重な指針です。このことをしっかり頭に入れておきましょう。
さて、今日は、「想像するということ」と「命ということ」の2点についてお話をしたいと思います。
私の伯父の法事が、東京の町田で執り行われた時のことです。5,6年ぶりに従兄と再会しました。この従兄は、宮城県東松島市の野蒜(のびる)という所に住んでいました。
皆さんは知っているでしょうか?この宮城県東松島市という場所は、今から15年前、(だから皆さんが生まれて間もなくですが)あの東日本大震災で津波に見舞われた地域です。当時、町は10m以上の津波に襲われました。10mと言えば、3階建ての建物の高さです。報道によると、東松島市全体で亡くなった方はなんと1,110人、未曽有の大災害でした。
私の従兄は薬剤師で、当時、海辺の近くの家に住んでいました。大きな揺れが収まってきた時、津波を警戒する市内の放送が盛んに流れていたのを記憶しているといいます。その時、従兄は恐る恐る玄関を出て、目の前の道路に大きな亀裂が入っているのに気付きました。あらためて、経験したことのない、かなりの揺れだったんだと恐怖を感じたそうです。そして、ふと目の前の海に目をやると、巨大な壁のような津波が見え、あっという間に自宅が飲み込まれてしまったそうです。従兄は自宅の中へ逃げ込んだものの、すぐに頭近くまで海水が押し寄せ、箪笥の一番上につかまって流されないように、家の中で必死に耐えるのに精一杯だったと言っていました。そして、逃げ遅れた顔見知りの人たちが次々と波にのまれて流されていく様子を目撃したと言います。
そんな生死ぎりぎりの境を生き抜いた従兄です。大震災の後、私がこの従兄とようやく連絡が取れたのが1週間後、従兄の生存に希望を失いかけている時でした。電話の向こうからは、「なんとか生き延びたけれど、始めは食料がなくパン一切れしか配給されなかった、次にはパンがようやく半分、そして次の日にやっとパンが一枚と、徐々に配給の量が増えたが、履いているズボンは泥にまみれて今は乾いてゴワゴワしている。気持ちが悪い。だから早く取り替えたい。」と、本当に切実な思いが伝わってきました。
そんな従兄との再会が、伯父の法事だったわけです。この従兄とは、法事の後、長い時間たくさんの話をしましたが、そのお話を聞いて、私なりに考えさせられることがありました。
一つは、「想像する」ということです。皆さんは、「観の目」、「見の目」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「観の目」の「観」は、「観光旅行」の「観」という字、「見の目」の「見」は、「見る」という字です。
人は、目に見えるものについては対象をしっかりと捉えることができます。しかし、目に見えない対象については、「想像をめぐらす」しかないわけです。このように想像力を働かせて物事を見抜く目のことを「観の目」、つまり「心の目」と言います。
従兄が話していました。「テレビで震災当時の津波の様子を映像で流すよね。それから、震災と津波でめちゃくちゃにされた町の様子を中継している映像があるよね。あれって、本当に一部分。全てじゃない。ある意味、加工された綺麗ごとの世界。だって、何か抜け落ちていると思わないか?」私は一瞬、考え込みました。続けて、従兄が言いました。「死体だよ。それから、腐敗した強烈な臭いだよ。そして、家族を失った人々の現実の光景は、地獄以上の地獄なんだ。」
テレビは報道として全国へ放送する以上、様々な規制があります。そのまま流すわけにはいきません。当然です。場合によっては、制作者側が意図的に情報を流さない場合もあります。つまり、マスコミによって報道される内容は、あくまでも出来事の一部であり、全部ではないということです。これは重要な視点です。しかし、私たちは報道される内容が全てと思い込んでしまう。そして、その背後にある「何か」に思いをいたすことが少ない、あるいは全く無自覚になってしまっているのではないでしょうか。私たちは、情報の向こう側にある、目には見えない「何か」を「観の目」、「見の目」の両方を使って見ていかなければならないのだと思います。
もう一つが、「いのち」についてです。自分の命が危機にさらされている恐怖、そして顔を知っている近所の人たちが流されている様子を目の当たりにして、助けたいけれど助けられないもどかしさと無力感、しばらくの間はそれが脳裏に焼き付き、従兄は自分を責めたといいます。従兄が言うには、「地震と津波は恐怖だった。しかし、生き延びて一番辛いのは、知り合いが波にさらわれているのに助けることができなかったことに対する自責の念なんだ。それが家族であるなら、なおさらだよ。」ということでした。身近な人を救えなかった、自分だけ生き残ってしまった負い目……。
皆さんはPTSDという言葉を聞いたことがあるでしょう。日本語では、「心的外傷後ストレス障害」と言って、生死にかかわる強烈な体験、悲しみなどを経験した後に生じる神経障害のことを言います。私の従兄は、家の中に海水が押し寄せ、箪笥の上部に必死でつかまり、ようやく救助されて一命をとりとめました。そして、「生きていること」の奇跡をしみじみ実感したといいます。考えてみれば、私たちがこの地球上に生を受けたこと自体が奇跡です。しかし、私たちは日々の営みの中で不満を持ち、あるいは相手を攻撃し、いつの間にか命の尊さに鈍感になっているのではないでしょうか。
特に現代は、SNSを始めとした言葉のやり取りによって、相手を追い詰め、相手の命を奪うという事件も現実に頻発しています。ここには、先ほどお話をした、「想像する」という意識の欠如があるわけです。
歌人の俵万智さん(この方は、『サラダ記念日』という歌集がベストセラーになったことで有名な人です)が、以前、新聞でこんなことを語っていました。
俵万智さんが、中国を旅行し、列車に乗っていた時の出来事です。俵さんの前の席に恋人同士と思われる若い男女が会話をしていました。中国語なので、何を話しているか分かりません。ただ、お互いに何か話をしているということがわかるくらいです。すると、そのうち女性の目から涙がつつーっとこぼれ落ちてきて、その女性は両手で顔を覆ったそうです。
この一部始終を見ていた俵さんは、新聞でこんなことを述べていました。「私にとっては、聞こえてくる中国語は意味の分からない単なる音声にしか過ぎない。しかし、この女性にとっては悲しみを呼び起こす強い攻撃になってしまった。言葉とは、相手に勇気を与える愛にもなれば、相手を攻撃する鋭い刃(やいば)ともなる。私たちは、言葉の持つこの二面性をしっかりと認識しなければならないだろう」と。
これから夏休みとなります。どうか、物事を一面だけで見ないで、「想像する」姿勢を常に持って下さい。出来事であれば、見えない何かを見抜く目を、そして、人に対してであれば、相手の気持ちを思いやる姿勢を、大切にしてほしいと思います。また、それを通じて、自分だけではなく、相手の命の重みにも思いをいたし、かけがえのない命を慈しむ心を、どうか大切にして下さい。
8月31日には、また、皆さんの笑顔に再会し、元気に2学期をスタートさせたいと思います。
充実した夏休みを過ごして下さい。
生徒の皆さん、おはようございます。令和8年度の教育活動の始まりです。学年が替わり、クラスも替わり、先生方の入れ替えもありました。4月という出発の季節に、明るく新鮮な気持ちでスタートを切っていきましょう。
さて、年度の初めに当たり、「心の姿勢」について少し話をしたいと思います。
現代は変化の激しい時代です。特にコロナ禍以降、その感じが強くなりました。皆さんは、「人類の3大革命」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。歴史学や社会科学などでしばしば用いられる言葉です。「3大革命」とは、「農業革命」、「産業革命」、「情報革命」の3つを言います。人類はこれらの革命によって、「物質」、「エネルギー」、「情報」を自在に操れるようになりました。現在は、「情報革命」の真っ只中ですね。今、世界中が同時進行であらゆる分野でのデジタル化を進めており、この波に乗れないと、日常生活で不便を生じる場面が出てきました。そして、それは私たちの生活スタイルのみならず、価値観すら変更を迫られる場面が生じています。
このように、従来のモノサシが通用しない時代にあって、私たちに必要なことは、「学びの幹を太くする」ということです。傾向や対策を追う勉強、定期テストで点数を取るためだけの勉強では、社会へ出てから通用しない時代になっているのです。一つの考えに縛られず、柔軟に、興味ある分野を広く深く突き詰めて考えていく姿勢が「学びの幹を太くする」のです。この「学びの幹を太くする」ためには、次の3つの心の姿勢が必要になると思います。
1つ目は、「謙虚に」ということ。何かを学ぶ際にまず必要なことは、「教えていただく」という心の姿勢です。そして、自分はまだまだ足りない、思えることが自分の実力を引き上げてくれます。
2つめは、「貪欲に」ということ。「試験に出ないからいいや…」ではなく、学べるものは貪欲に学んで自分の思考の血肉としていくことが、「学びの幹を太く」します。皆さんは、読書をしていますか。今は故人となりましたが、小説家の司馬遼太郎はある時代、ある人物の伝記を作品化するにあたって関連する書籍をごっそり買い集めるため、神田の古書店街から一斉に消えた本を探れば、司馬遼太郎が次は何を書こうとしているかがわかると言われるほどでした。本校には立派な図書室があります。ぜひ活用して、興味ある分野、評論なども含めて本を実際に手に取って、貪欲に読み尽くしてみて下さい。
3つめは、「明るく」ということ。ネガティブ思考からは何も生まれません。ポジティブ思考こそが、モノを、事を、人を動かします。そして、学び続ける原動力となります。
以上、「謙虚に」、「貪欲に」、「明るく」を心の姿勢として自分の中に持ち、これからの高校生活の中で「学びの幹を太く」していってほしいと思います。
私の話は以上です。
風光る大地のそよぎ、生き物たちの柔らかな鼓動に彩られたこの佳き日に、PTA後援会会長 立野リサ 様をはじめ、ご来賓の皆様、新入生保護者の皆様方のご臨席を賜り、埼玉県立久喜北陽高等学校第四十回入学式を挙行できますことは、本校関係者一同大きな喜びでございます。御多用の中、御臨席を賜りました皆様方には、心より御礼申し上げます。
本校は昭和六十二年に普通科・情報処理科を併設する高校として開校し、平成元年に外国語コースを新設、さらには平成七年には県内の公立高校としては初の総合学科として新たな第一歩を歩み始めました。
「誠実」を校訓とし、教育目標として「一人一人の個性の伸長と豊かな人間性の涵養を図り、幅広い教養と専門的知識・技術を身に付けた、心身ともに健全な人材を育成する」ことを掲げ、「チャレンジ精神を持った高い目標を目指す明るく生き生きした生徒を育てる」ことを教育方針としております。開校以来、卒業生は一万人を超え、各方面で活躍をしております。
ただ今、入学を許可いたしました二百九十名の新入生の皆さん、そして保護者の皆様、ご入学おめでとうございます。本日から、この久喜北陽高校という新しいステージで皆さんの高校生活が始まります。本校では様々な出会い、学び、体験があります。中学時代には考えられなかった世界の広がりが、無限の可能性として皆さんを待っています。今は、期待がある反面、不安もあるでしょうが、少しずつ本校での学校生活に慣れ、生き生きとした一日一日を、自分の足でしっかりと踏みしめて歩き出してほしいと思います。
さて、新入生の皆さんは、本校での三年間をどのように思い描いているでしょうか。
まずは、学習者として、学びの幹を太くしてほしいと思います。テストの点数を上げるためだけの学習ではなく、授業での学びや興味のある分野を自ら広げ、深めていく、自立した学習者としての姿勢が大切です。そのためにもぜひ、図書室を活用するなどして、あらゆるジャンルの本を貪欲に読み尽くしてほしいと思います。
そして、部活動などを通じて交友関係を広げ、人間の心の機微に触れる貴重な体験をぜひ積み重ねて下さい。
高校は、大学へ行くための単なる通過点ではありません。皆さんにとって高校とは、それ自体に価値のある充実した三年間です。
明治の文豪・森鴎外は明治四十三年に書かれた『青年』という小説の中で、次のようなことを述べています。
「一体、日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にありつくと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」
大切なのは一日一日であり、そのかけがえのない日々の積み重ねの三年間が、皆さんにとってそれ自体価値のある内的財産と
して昇華していくのです。皆さんにとって、本校での三年間が何物にも代えがたい、充実した三年間であることを祈っております。
結びに、新入生の皆さんの今後の成長と、ご来賓の皆様、保護者の皆様方のご健勝を心より祈念し、式辞といたします。
令和八年四月八日
埼玉県立久喜北陽高等学校長 寺嶋 毅